鬱病的脱出者

2007年09月18日 再度、自分を確認するために書く!

テレビゲームで最悪の状況になったとき、
あなたは結末まで確認するか?
それとも途中であきらめて電源を落とすのか?


「予断は許されない日々」

今日の話は暗く重い。パスするなら今のうちにどうぞ!

先日、突然の訃報が舞い込んだ。私の長年の知人が逝ってしまったのだ。5年以上も重い鬱病で苦しんでいた方だった。死因は聞いていないのだが・・・。これから書くことは「鬱」の深い暗闇を経験した方にしか理解できないかもしれないが、あえて今日は書きたい気分になった。これからの記述は私の独断と偏見によるものである。一般論ではないかもしれないが、私が経験した事実であることをお断りしておく。

私は鬱病を発症して2年半になる。そして今から1年半前、私は精神的に死の淵を歩いていた。その時は鬱による自己否定が頂点に達していたのだ。鬱病はその重さによって症状の違いもあるのだろうが、深くなってくるとおおむね激しい「自己否定」が沸き上がる精神的な病気である。現象的に言えば、脳内分泌物の減少により脳が機能低下を起こし、錯覚している状態なのだが。

では「自己否定」とは何か?鬱になるとモチベーションが消え、何事をやるにも体が積極的に動かなくなる。判断力が鈍り決断することが苦しくなる。判断が中心の管理職にとっては辛い状況となる。そうなると仕事に澱みが出始め「体調が悪そうだからしばらく仕事を休んだら?」と同僚から親切心で言われても、何一つ自分自身が評価されていない感覚や、周りから疎外されている感覚が襲うようになる。「お前は邪魔ものだ!会社に来るな!迷惑だ!」と言われているような錯覚に陥いるのだ。

健康な人々が客観的に見れば「錯覚」である。だが、本人にとっては「同僚から否定されたことによるとてつもない自己嫌悪」にさいなまれることになる。「自分は役立たずだ、社会にとって有益性のない人間だ。会社はもう私を必要としていない。何もできないし、消えてしまいたい・・・」強迫観念に近い感覚だ。これが一日中頭の中を駆け巡るようになる。

こうなると、会社内で交わされる会話のすべてが自分に向って攻撃的に聞こえてくるようになる。そして、日々この感覚が重く体を包み込むようになり、目の前の世界は色彩を失いグレーの世界観になる。明日への希望など全くなくなる。未来は暗黒の世界となる。

この段階で危険なのは、下手な元気づけの言葉をかけられることだ。「気の持ちようだよ!」とか「しっかりしろ!」とか「頑張れ!」などの言葉は鬱病が深くなった患者に対しては「死ね!」と同義語である。

これらの言葉を発するものにとっては通常の元気づけの単語にしか過ぎない。しかし、鬱病が進行した者にとってはその状況は「気の持ちようではない」し「しっかりできない」し「頑張れない」のだ。つまりどうしようもできないことを「ヤレ!」と言われているような被害妄想的感覚に陥るのだ。さらに患者の思考は深く孤独になっていく。現実に私はこれらの言葉で鬱を深くした経験を持つ。

あなたは、勤務中に孤独感に苛まれて涙を流したことがあるだろうか?私は2年ほど前に何度もあった。部下の何気ない一言にうろたえている自分に対して、何も対応できないことで自主的孤独感をかき立てて涙してしまうのだ。同時に望郷の念や、両親に対しても狂おしいほどに会いたいと思うようになる。

そんな時には休職して治療に専念すればよいのだが、休職することすら自分では「決断」できなくなっている。判断力の低下はそれほどひどくなってくるのだ。ただ漫然と出社する日々。機械的に書類にハンコを押す。だが、複雑な書類の内容はほとんど頭の中を素通りしている。文書は単なる文字の羅列にしか見えなくなった。

やがて、その日常は現実感を帯びなくなる。自分自身の体と精神状態が遊離した感覚になる。目の前の出来事が、どこか別世界で繰り広げられている風景に感じられるようになった。皮膚感覚が鈍くなったような感じだ。猛烈な孤独感や自己嫌悪感は、やがて自己否定を通り越して「自己消滅願望」へと変化していく。

その苦しみの世界から抜け出すためには「死」しか方法がないと感じるようになる。自殺願望は鬱病の最終段階だろうか?モチベーションが消え果ている状況では「自殺願望」は願望にすぎない。実際の行動はなかなか起こせないのだ。鬱病の危険な時期は「なり立てと治り始め」と言われている。この時期にはすこしモチベーションがあるので、行動を起こしやすくなるのだ。

私自身にも、1年半前の鬱どん底状態のときに「自殺願望」が日々襲ってきていた。毎日駅のホームに立つたびに「ここに飛び込めば楽になれる・・・」と線路を見つめていた。だが、現実にはモチベーションが枯渇していたため、行動に移すことはなかったが。

その直後、私は社長の勧めで休職に入った。もしあの時休職していなければ、私が選んだ道はどうなっていたかわからない。今この文章を書くこともできなかったかもしれない。それほどまでに鬱病患者にとって、その感覚から逃れられる「死」は甘美に感じられるのだ。

古い友へ向けて、あえて誤解を恐れず書くのだが「あの苦しい世界から脱出出来てよかったね」と言いたい今日の気分だ。残された者たちは悲しむだろうが、本人にとってはそれしか選択肢がなかったのだ。かつて私も選ぶ可能性があった道なのだ。

鬱病で苦しむ人々にとって、死することが救いなのか?それはなったものにしか理解できない感覚である。実は私自身、この8月になりまた少し「鬱」がぶり返した。わずかながら「自己消滅願望」が浮かび上がってきた。現実にはもう死へのあこがれはないので、安心をしているのだが。熱い日々の中で体力と精神力が消耗したせいもあるのだろう。そこで医師に自己申告して薬の量を少し増やしてもらった。自主的に防衛をすることができた私はまだ救われているのだろうと考える。

世間では「死ぬ気で頑張れば何でもできる」とよく言われる。だが、激しい鬱病に襲われた者は「何もできないから死を選ぶ」のである。明日への希望、未来への展望、何もかもが見えなくなったとき、人は孤独感にさいなまれ、失意のどん底に陥る。そして思考はループを始める。辛い・・・。死にたい・・・。辛い・・・。死にたい・・・。日々それしか考えられなくなる。

親しい精神科の医師は私にこう言った「鬱病患者を治療するのは虚しい。治りかけると死んでしまうんだ・・・」この言葉は医療の現場に拘わる医師から発せられたものとして医師の本音であると考える。

鬱病患者にとって、どの精神科医師でも必ずしも的確な治療をしてくれるとは言えない。患者によってはマッチングが悪い場合があるのだ。診断方法、投薬の種類など、いつまでも一致せずに回復が遅くなることもあるのだ。医師選びは最初の段階でなかなか出来ることではないのだが、治療が長引いた場合、医師を替えるのも一つの手だ。

私の55年の人生で、自分自身の死を現実的な事態として意識したのは「鬱病」の真っ最中だけだった。そのころ「今日の帰り道、私は線路に飛び込むかもしれない」という予感が付きまとっていた。それほどまでに衝動的に死を選ぶ可能性を否定できない毎日だった。生きていることと、死ぬことが紙一重の位置にあった。

なぜ鬱病患者は死を選ぶのか?風邪ならせいぜい一週間もあれば治る。骨折だって三か月で完治する。しかし鬱病にかかった時、回復までの明確な期限は何も示されない。一生「鬱感覚」が付きまとうのだと思えてしまう。あの苦しい感覚が一生付きまとうのだと思えば、死しか自分が迷路から抜け出す方法を見つけられないと思えるのだ。

私の場合は、幸いにして治療を開始したのが早かったため、優秀な医師の指導のもとで徐々に回復をしている。もう「死」にあこがれることはなくなった。だが、まだ鬱の治療の真っ最中であることに変わりはない。完治までまだ数年はかかるだろうと予測している。予断は許されない日々なのだ。私の今は生き延びることがすべての基準となっている。

テレビゲームで最悪の状況になったとき、
あなたは結末まで確認するか?
それとも途中であきらめて電源を落とすのか?



本日の結論
鬱かな?と思ったらすぐに医師に相談して!

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