雑談的日常戻

2006年01月31日 今日でラッキー話しは終える・・・。


在りし日のラッキー 私と一緒に寝ていたなあ。

「それが新しい目標か?」

まとまったネタが書けないので、今日は雑談だ。

仮名A氏としよう。昨年の夏にメールが送られて来て、数回やり取りしているうちに仮名A氏から「おなかま」という言葉が飛び出して来た。「鬱病仲間」という意味である。「鬱病」にはかかってみないと分からない独特の「気分」がある。その気分が分かる者どうしとしての「おなかま感」が存在している。「つらいっすよね!つらいっす!」この言葉だけで分かりあえる世界があるのだ。どんな世界だろうか?
とりあえず「鬱」になるとどうなるのか?私の陥った状況を書いてみよう 疎外感、孤立感、で胸の中に風が吹き抜け心が寒く、現実が遠く見える。ただひたすら日々悲しく、一日中眠気が襲うのに夜は眠れなくなる。食欲は大きく後退し、そして、痩せ始める。世の中を斜めに見つつ、体も斜めに向いている。周りの仕事が上手く動かないのはすべて自分が原因であると思い込み、今すぐここから消え去りたいと思う。会社を辞めたいと思う。死にたいとさえ思う。思った分だけ無口になる。他人と話が出来なくなる。モノゴトが集中して考えられなくなり、本が読めなくなる。物事の瞬間的判断が鈍る。

判断が業務の中心である管理職にとってこれらの症状はとても辛い。客観的な立場で観ることが出来ないからだ。しかし、仕事の上では何とか判断をしなければならない。判断出来ない自分がなんとか判断しなければならないジレンマにますます堕ち込んで行くのだ。「おれは役立たずだ・・・」と思い始める。

こんな状態で車の運転をしてみるととても怖いことになる。バックやサイドは全く気にしていないことに気付くまでずいぶんかかった。冷静に言えば「総合的判断力」に欠ける状態に追い込まれるのだ。車の運転が下手になったのはすぐに体感出来る。半年で4回もあちこちをぶつけたのだ。駐車場に入れると必ず斜めに停めてしまう。微妙なハンドル修正が出来ない結果だ。

てな状況からようやく私は脱することが出来たようだ。長期にわたる投薬治療の結果、10日ほど前から急激に好転して来た感じが体感できたのだ。不思議なことにそうなると急に車の運転がスムーズになる。駐車場に入れてもまっすぐ止められるようになったのだ。たったそれだけことがとても嬉しい昨今である。

毎年、年末年始に必ずと言っていいほど私は寝込んでいた。「風邪」あるいは「インフルエンザ」にやられていたのだ。ところが今年は昨年末からずっとその気配がなく、すでに1月末を迎えた。いったいどうした体調の変化なのだろうか?抗鬱薬を服用している限り「鬱症状」もほぼ消え去り、精神的にも肉体的にもすこぶる快調である!食欲も出て来たので、昼飯もバクバク食っている。

風邪にありがちな初期の微熱感がまったく感じられないのはとても嬉しい。脱鬱感と相まって「幸せ感増量50%(当社比)」ってな感じだろうか。風邪をひかないコツとして私が実践しているのは、なるべく空いた電車を出退社に利用していることだ。あっちでゴホゴホこっちでゴホゴホやられた満員電車に乗った日には絶対感染するって。

ようやく私の中からラッキーへの強い哀愁の感情が消え始め、ラッキーを思い浮かべても涙が流れることは無くなった。妻は毎朝、ラッキーを埋葬したプランターに向かって「ラッキー!おはよう!」と声をかけている。妻の表情も少しずつ明るさを取り戻しつつある。「悲しみはいずれ薄紙を剥がすように時間が解決してくれる」いい言葉だ。真理である。

ペットの死について、私は大きな勘違いをしていたのかもしれない。私はラッキーの死がもたらす直接的な悲しみだけが私を蹂躙していると思い込んでいたが・・・今はより強い妻の悲しみが私に伝播していたと考える方が自然に感じる。私は慟哭し悲しみ続ける妻の姿を観続けることが苦しかったのだ。夫婦として30年も一緒に生活していればそうなるのが自然だろう。

つまり私にとっては「私対ラッキー」の関係より「私対妻」の関係の方が当然のごとくより強く深いということだ。妻はどうだか知らないが・・・。妻が悲しいと私も悲しい。妻が喜べば私も嬉しい。普通に生活しているとそう考えることが自然であるとなかなか気付かない。アクシデントが起こってようやく思い出して気付く夫婦の関係である。

人間として生物として生きている以上、いずれ人生に別れが来る。夫婦のどちらが先になるのかは分からないが、出来ることなら私が先に逝きたい。1日でも先に私がだ。そんなことを平気で口走れる歳になったということか。私の父が自主定年で仕事を辞めたのは54才の時だった。その後は67才で亡くなるまで遊び人をやっていたなあ。うらやましい・・・。私もあと3.5か月ほどで54才になっちまう。時の流れは早いものだ・・・。

もし私が父とおなじ道をたどるとすれば、67才まで余命14年ということになる。私は仕事を今すぐ辞めるわけにはいかないが、それにしても現時点で余命14年と期限を切られるのはちとキビシイ現実である。こうなると私の生きて行く当面の目標はこれからの14年間をしつこく楽しく生き延びること。もちろん妻と一緒にだ。

妻は言う「70代まで生きられれば充分でしょう!」確かにそれ以上生きて行くことにどこまで意味があるかどうか、今はまだ分からない。夫婦ともに70代に突入して二人して手をつないで散歩する。それが新しい目標か?



本日の結論
自分のことしか書けないのはまだ「鬱」だなあ・・・。

------------------------------

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。


GO TO HOME PAGE