号泣的愛玩考

2006年01月26日 今日も冥福を祈る・・・。


在りし日のラッキー 炊飯器の上が好きだった。

「今の私に出来ることは」

昨日の続きだが・・・。

生き物を飼えば必ず死があり、別れがある。1月25日に当家で飼っていた「手乗り白文鳥ラッキー」が他界したのは昨日ご報告した通りだが、もの言わぬ生物とのふれあいがこれほどまでに私自身に深く苦しいダメージを残すとは思わなかった。というよりも、私はどのような事態になろうと、平気でいられると思っていたのだ。だが、一晩経った今もラッキーを思い出すたびに涙が流れて来る。たったあれっぽっちの小さな命なのに突然消え去ったことで、私の気持ちをかき乱すのだ。

そもそも「飼っていた」という考え方が間違っていた。ラッキーは共同生活者だったのだ。カゴの鳥ではなかった。家中を自由に飛び回り、私たちと一緒の食事をし、満腹になると私の手のひらや妻の手の中でぐっすり眠りこけていたのだ。外出しようとすれば、玄関先まで後追いをし、私たちが帰宅すれば必ず玄関先でキュッキュと鳴きながら出迎えてくれた。決して言葉は発しないが、その気持ちや行動は手に取るように分かっていた。自分たちの子供の領域にまで達していたラッキーだったのだ。

自宅に私しかいなければ、ラッキーはずっと私を追いかけて来て、肩に止まり続けた。トイレにまで一緒に入った。私が自分の部屋に行こうと動けば、先回りしてキーボードの上で待っていた。妻がいれば、ラッキーは妻にべったりだった。頭をなでてやるとうっとりとした表情でおとなしくしていた。お客さんが来れば当初は警戒していたが、そのうち頭に留まったり腕に乗ったりして愛想を振りまいていたなあ。

1月25日夜。ラッキーの亡がらをいつまでもなで回しながら妻と娘は号泣していた。彼女たちは泣き続けることで気持ちを清算しようとしているかのようだった。さすがに私は涙ぐんだが号泣まではしなかった。これが男女の違いなのだろう。だが、号泣しなかった分だけ気持ちを押さえ込み引きずっている気がする。私もあえて号泣して洗い流す必要があったのだろうか。

今この文章を書いているのは、号泣する代わりに文章を考えることを代償行為として行っているように感じられる。文章を書くことで、亡くなったものが生き返るわけも無い。しかし書かずにはいられない。それが「愛玩動物」の魔力なのだろう。微妙なのはラッキーは決して「愛玩」だけではなかったことだ。先ほども書いたが「共同生活者」だった。自己主張もしていた。すねることもあった。うっとうしいと思える日もあった。子供の反応と同じだ。

25日夜、妻は「もう生き物は二度と飼わない」と言い切った。当家で10数年に渡り小鳥を飼い続けて5羽目で妻が出した結論だ。いつもペットとの別れは悲しい。特に今回の別れには深い悲しみがある。もの言わぬ相手だけに別れの言葉さえ交わすことが出来なかった。妻と話し合って、ラッキーはベランダのプランターに埋葬することにした。春になればそこに花をの種を植えようと思う。ラッキーはやがて花の養分となり土へ還って行くのだ。

少女趣味と言われようが、今の私に出来ることはそれくらいしか無い。



本日の結論
正確に調べてみると、ラッキーは1997年4月生まれだった。当家で生活していた期間は9年弱である。

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