鬱々的独言考

2006年01月12日 どこまで復帰しているのだろう・・・!

独り言だから読まなくてもいいよ・・・。

「時間は果てしなく長く」

鬱病患者の独り言。

少し希望が見え始めたので、今の気分を書いてみる気になった。毎日が楽しくて面白くてたまらない日々はあったのだろうか?ずいぶん昔にあったような気もするが、記憶は定かでない。40日以上もWEBのネタを連続して書き続けることが出来た日々もあったはずだ。あの日々はどこに行ったのだろうか?

鬱が積極性を封じ込め、徹底的に私から奪い去って行くのは体感出来た。どん底の精神状態に引き込まれて行く体験もした。昨年3月から、長い戦いが続いている。今日の私は、息を止め仰向けになって海の水面にゆらゆら浮かんでいる感じがする。ようやく水底から浮かび上がって来た感じだ。背中には深い暗い水の底があるのを知っているのだが、顔はそちらを向いていない。明るい空を観ている。少しだけ希望を抱いているが、積極的に手足を動かし泳ぎだそうとはしていない。方向性が定まらないからだ。

全身が緩く水に縛られている感じがする。息を吐ききればすぐに水中へ沈んで行く気がする。今、死への願望がゼロかと問われれば、ゼロではないと答えるだろう。ほんのわずかながら願望は心の底で生きている。常に生き続けている。だが、それをしっかり封じ込める気力はまだある。というより気力が生まれた気がする。

数日前、テレビを見て笑った。娘と一緒になって、自分でも驚くほどの声を出して笑った。表情筋が久々に大きく動いた感じがした。私に笑う気力が戻って来たのか。鬱にならなければ、ここまで自分自身と対峙することも無かったはずだ。

「スタートした時点で半分は終わっている」この言葉を新聞で見つけた。治療を受けようと病院に足を向けた瞬間に半分は治っているという解釈が成り立つのか。自分が自分と戦わなければならない事態が「鬱」の本質なのか?と自問自答は続く。

妻を恋しいと思う気持ちが芽生えたのはいつだろうか?いつの間にかその感情が私の中で動き始めていた。日々会社から家に帰るのがとても嬉しい。妻の温かい手を握りしめるのがとても嬉しい。ゼロではないと言いきらないために手を握りしめる。生きている確認の為に手の温もりを感じるのだ。娘の手の温もりも嬉しいことに変わりはない。

鬱になってからは、一日がとても長く感じるようになった。自分の内面と向き合っていると時間は果てしなく長く感じるのだ。



本日の結論
当人にしか分からない感覚なんだなあ・・・きっと・・・。

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