絶望的逆貢物

2005年12月12日 今日から突入・・・!


ドコモダケの新作冬バージョン! (本日の内容に関係なし)

「矛盾した状況に私は」

先に謝っておくべきことだろうなあ・・・。今日も鬱話で申し訳ないのだが・・・。

毎年12月末になると、イロイロな変なグッズを安く手に入れておいて、お正月にお年玉として登録会員諸氏に対して「お年玉逆貢ぎ物大会」なるものを長年にわたり開催して来た。が・・・本年は私の事情によりその開催が危ぶまれて来た。ゴメン!

事情とはこうである。まず私が「鬱病」で悩んでいる真っ最中であること。これによって「なんか面白そうぢゃん!」との発想をもってブツを観察することが出来なくなっているのである。さらに、ブツを集める為の努力を全くしていないのだ。努力をしていなくて威張っているのも変だが「努力できない状態」に精神的病状が陥っていると書いた方が正しいだろうな。

「お年玉逆貢ぎ物大会」を開催することも景品を集めまくることも自分が面白がっていなければ決して出来ないのだ。精神状態が「躁」でなければとても行えるものではない。又しても「鬱病」の話になって申し訳ないが、他人とコミュニケーションを取ることすら辛いのだ。会社にいても社員に対し「おはよう」「おつかれさま」以外の言葉はほとんど口にできていない。

ところで、心はどこにあるのだ?そもそも心なんて存在するのか?心とは脳の別名ではないのか?

たまたま読んだ本のコラムに「鬱病」の話が書いてあった。「鬱病は心の風邪」と言う方もいるが、現実にかかってみるとそんな単純なモノではない。苦しみ抜く事この上ない。もし内蔵が悪くなれば医者にいき薬をもらい安静にしている。「鬱病」もそれと同じと書いてあったのだ。「脳という名の内蔵の病気である」というのだ。だから病院に行き薬をもらい治るまで安静にしなければならないとね。非常に分かり易い例えである。。

だが、現実を振り返ってみると「癌」であれば手術し数ヶ月は安静に休んでいなければならない。だが、見た目健康そうな「鬱」の対応はそう簡単には行かない。周りがまずまったく理解していないのだから、休む理由を納得させるのに苦労するのだ。私の場合、既に家族は完璧に理解してくれているので、自宅でボンヤリしていても「優しい無視」で対応してもらっているので大助かりだ。

一般社会ではそれが許されない。会社で一日中ボンヤリしている人物がいたとしよう。目立ってしまってしょうがない上に、さぼっている人物との評価が下る。だが「鬱病」の本人にとってはそうではない。必死になって「鬱」の諸症状と戦っているのだ。一番の強敵が「睡魔」だ!すぐにまぶたが重くなってくる。一日中いくらでも眠っていられるくらい眠気との戦いは続く。だが、それは熟睡ではない。ただ目をつぶりジッとしているだけのこと。私の場合、周りの音は聞こえているのだ。

私は社内で早めに病状を宣言したこともあり、会社側も部下も気付いてくれて「年内いっぱい休んだら?」と言って来る。だが、ここに重要な問題が残る。理屈では分かっていても自分ではそう簡単に休めないのだ。「休め!」と言われるたびに精神的に「のけ者扱い」の気分が強く湧いて来る上に「自分は情けない存在」との嫌悪感が湧いてくるのだ。さらに「有給休暇」をもうほとんど使い果たしているので、収入の問題も絡んで来る。「休みたいのに休めない」という矛盾した状況に私は今突入しているのである。

体が資本だ。休むのを優先するべきである!と感じてはいるのだが、自分の心がそれを阻害するのだ。頑張れないはずなのに毎日頑張って起き上がり出勤電車に乗り込む。「鬱病」は頑張っちゃいけない病気なのに毎日頑張らなきゃ会社に行けないこの矛盾。やっぱり何もかにも放り出してそろそろ長期に「休め!」ってことか?

てなことで、このままズルズル出社するのも辛いので、あっさり精神的抵抗を止めて本日から2週間の自宅療養に入った。療養と言っても寝込んでいるわけではなく、薬を飲んで普通通りに朝からのんびりコタツで過ごしているだけだから安心するようにね!



本日の結論
辛い時には休むしかないよね!

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