緊急的手術記
2005年01月13日 怒濤の救命病棟24時!
 



「とても長い一日だった・・・」

本日はネタ扱いではない!2005年1月12日の0時から24時までの間に当家に起った出来事を時間軸にそって淡々と記録するものである!読んでいただけば分かってもらえると思うが、その24時間に何が起こっていたのか?当事者の娘に後日読んでもらうために記録として残すものである。なお、本日の内容について筆者は掲載を躊躇する部分もあったのだが、当事者の強い掲載希望によりあえてプライバシーの領域に足を踏み入れるものである!

*本日の内容で、医学用語が正しくない部分もあるだろうがお許しいただきたい。


私家版


救命病棟24時


00:00
娘に突然腹痛が襲いかかって来た・・・。

01:00
娘の苦しそうなうめき声が、隣の部屋で就寝していた妻に聞こえ始めた・・・。
娘は結石の持病を持っていたため、その痛みが久しぶりに来たのだろうと妻は考えていた。水分を多く取り、尿で排出すれば楽になるため、娘は冷蔵庫の麦茶を取り出しカブ飲みを始めた。だが・・・一向に楽になる気配が無かった。痛みは増すばかりだった・・・。トイレに入っては麦茶を吐き戻すようになった。痛みの場所はいつもの場所だった。そう思っていた・・・。歯を食いしばり痛みに耐え、それが通り過ぎるのを待った・・・。

04:00
娘は胃の内容物をすでに全部吐き切っていた。

05:00
明らかに今までに経験していた痛みとは違う長時間の激痛が襲い続けていた。うめき声が響き続けていた。「痛い・・・痛い・・・!」妻は起き上がり、娘のこの痛みがかなり異常性を帯ていると感じ始めた。救急車を呼ぶべきか、思考開始!

05:50
妻が私を起こしに来た。「涼子が、お腹を押さえてずっと痛がっているんだけど!救急車呼んだ方がいいかな?」ボ〜っとした頭でその言葉を聞いていた私は、すぐには体が動かせなかった。数分後、やっと体が動くようになった。娘の部屋へ向かう。娘はエビのように腰を折り丸まって呻いていたが、その時点で娘はすでに自分で救急車を手配を完了していた。

06:00
救急車のサイレンが聞こえて来た。素早く妻と娘は身支度をし、かろうじて歩く事が出来た娘は階段をヨロヨロと降りて行った。はじめて来る救急隊員が当家にすんなり辿り着くのは難しいからだ。その後の車の手配等があるため、私は搬送先の病院が決定するまで自宅待機する事にした。しばらく待ったが連絡が来ない。私はとにかく待つしかなかった・・・。

06:10
搬送先のT病院に救急車が到着。当直医はいたが、CTで精密な検査をしなければ治療を始められないと判断され、取りあえず鎮痛剤を投与された。だが、鎮痛剤の利き目があまりでてこない。娘は呻き続けた!CT撮影はスタッフが集まる9時にならなければ開始できないと判明。それまではひたすら痛みに耐え、鎮痛剤に頼るしかなかった。

07:40
うたた寝をしていた私は、妻の部屋から響いて来る目覚まし時計の音に飛び起きた。取りあえず時計を停めに動く。妻から連絡がなかなかないので、その直後、妻の携帯電話を呼び出した。病院内で電話に出た妻は、その時点でまだ診断が行われていないと伝えて来た。病院名も確認。だが、その時、妻が院内で携帯電話を使っている様子を見とがめられたようだった。何やら遠くで、妻が謝っている声が聞こえていた。

08:30
身支度をした私は、自家用車で病院に向かった。10分後到着。私がそこに居ても何も解決しないと判断し、診断結果を知らせてもらう事にして、一旦会社に向かう事にした。この時点で、妻も私もそして当人の娘もとても長い一日がこれから始まるのだとは知る由も無かった・・・。駅まで妻に送ってもらう。

09:00
T病院のスタッフが揃った。精密検査開始。娘は造影剤を投与され、CT室に入った。だが、その直後に鎮痛剤の利き目が切れてしまった。CTで撮影中は身動きしてはならない。再び襲う激痛!娘は「痛い!痛い!」と叫び続けた。ボロボロ涙を流し続けた!だが・・・その声は誰にも届いてはいなかった・・・。CT室は完全防音室だったのだ・・・。その間、妻は自宅待機していた。


CTスキャン画像実物


12:00
CT画像のチェックの結果、痛みは「卵巣嚢腫」が原因であると診断された。さらにその「嚢腫」はすでに直径11cmにまで肥大していると判明した。緊急手術の必要があると判断されたが、T医院には産婦人科がなかったのだ!転送先の病院探しが始まった。受け入れ先はすぐに決まった。「昭和医大北部病院」車で15分の距離だ。自家用車で行くか?救急車で搬送してもらうか?妻は判断を迫られた。とても自力で連れていけるような状況では無かった。迷わず救急車を呼んだ。

12:30
会社で待機していた私の携帯へ電話が掛かって来た。「Kです!大変な事になっている様ですね!メールもらったんですが大丈夫ですか?」えっ?私もまだ詳しく知らない状況だったのだが、その時点で娘は激痛に悶絶しながらも、何人かの友人に病院のベッドからメールを送信したようだ。しかし、私は「結石」だと思い込んでいたので「粉砕できれば解決するでしょう!楽観視してますよ!」と答えただけだった・・・。

13:00
私に妻から次の搬送先の連絡が入った。病状と今後の動きを聞く。「卵巣摘出の可能性がある」と伝えられた。妻は救急車と同時に移動開始。T医院の玄関を出たところで、救急車は左に曲がった。だが!妻の車は右に曲がったのだ。妻はそのルートの方が早いと判断したためだった。妻は頻繁に使っている道路なので、地理に詳しいのだ!昭和医大北部病院はテレビドラマ「救命病棟24時」で舞台になっていた大学病院である。近代設備の整った大病院だ。

13:20
昭和医大北部病院へ搬送完了。ただちに精密検査のため、娘は再びMRIで画像を撮影する事になった。前回は腹部全体を撮影したのだが、今回は卵巣周辺を重点的に撮影する。担当はK医師。診断結果が出るまでしばらく時間が掛かりそうだ。どのような結果が出ようとも緊急手術する事になりそうだった。妻はただひたすら待つのみ。そのころ、私は会社で月次の〆の作業を行っていた。

14:00
この時点で私は「これから先、診断が終了した時点で病院ではいくつかの判断を迫られる可能性があるだろう!」と考え早退を決めた。伝票類の処理を行い翌日のスケジュールも読み、明日の午後14時までに出社すれば片付けられると判断した。

15:00
私は会社を出発した。

16:00
北部病院着。妻と会う。詳しい状況を聞いたが、まだ最終診断中で手術の方針を決めている最中だと言う。どれほど待てばよいいのか分らない。二人とも朝から何も食べていない事に気付いた。これから先もどれほど待たされるか分らない。長期戦も考えられるので、病院内の食堂で軽食を採る事にした。その時が来たら看護士から呼び出してもらうことにした。

16:50
病院の食堂はすでに夕方の休み時間に入っていた。しばし話しをしながら開店を待つ事にした。二人とも落ち着いていた。何があろうとも決してうろたえない妻であった事がありがたいと思う瞬間であった。私も何があろうとも運命として受け入れるつもりでいたのだが・・・。

17:30
二人でうどんを注文した。すぐに届き、ふた口程すすった時に看護士から連絡が入った。これからインフォームド・コンセントと行うと言う。あわてて残りのうどんをすすり込み、病室へ向かった。

17:45
看護士とともに麻酔担当の女医が病室で待っていた。美しい女医であった。妻も娘もそう感じていたと言う。今回の手術は全身麻酔をかける必要がある。全身麻酔はその間肺機能も奪うので、機械で補助するのだが、危険性がゼロではない。さらに腰に鎮痛剤を入れ続ける必要がある。さらに、気管挿管の際に前歯の差し歯を傷つける可能性や、声帯を傷つける可能性もあるという。多岐に渡りこまごまと説明があったのだが、それら全てを容認し書類にサインをしなければならない。 痛みを訴え続ける娘の横であれこれ疑問をぶつける勇気も時間も無い。素直にサインをした。娘もそれらの書類にサインを行った。

その直後、娘は「記念写真を撮りたい!」と言い出した。痛みに耐え、ベッドの横たわる姿を私が携帯電話のカメラで撮影してやった。その瞬間娘はVサインを示した!そして、麻酔担当女医とも記念写真を撮りたいと言い出したのだった。驚く女医!「こんな患者さん初めてです!」と笑いながらも記念撮影はあっさり拒否されてしまった。

18:00
次は担当K医師の部屋へ呼ばれた。その際に家族全員へ病状の解説と手術に関するこまごまとした説明がなされた。まずは腹腔鏡手術を行うと説明があった。わずかな可能性まで事細かに説明は続いた。だが話しが進むにつれ、徐々に内容がディープになり始めた。「もしもの可能性」についての説明である。

20万分の1の症例や事故の確率についていくつもの可能性。今回は輸血の必要は無いが、もし大量出血が起こった時には輸血をする可能性がある。宗教的に輸血を拒否しないか?等の質問もあった。そして、輸血の結果エイズ感染する可能性はゼロではないと言われた。確かに確率で言えば限り無くゼロに近いがゼロではない・・・。

最大のポイントは手術そのものだった。右卵巣にある嚢腫だけを切除する事ができれば一番簡単なケース。次に右卵巣摘出のケース。ここまでは腹腔鏡手術で出来る範囲だ。患部を内視鏡で覗いた時点で悪性だと判断されれば開腹手術に切り替わる。大きい傷跡が残る事になる。最悪の場合は両方の卵巣摘出の上、子宮まで摘出する可能性もあるということだった・・・。もっと悪い状況になれば「ショック死」もあるという。医師から発せられるすべての言葉が、車いすに座った娘へと投げかけられていくのだ・・・。

K医師は危険性を全てを書きつらねた手術同意書を私の前に差し出した。そこには当事者の娘もサインする欄があったが、さすがにそこは私だけにとどめてもらった。娘はすでに鎮痛剤の効果でボ〜っとした表情になっている。判断力は薄いはずだ。サインが済めばただちに手術室へ送り込まれ麻酔が始まる。

手術時間をK医師に聞いてみた。「順調に行けば1時間から1時間半。どんなに長くても2時間ですね!」ちなみに、K医師は俳優の中村育二氏にそっくりだった!救命病棟24時の舞台なった病院といえども、決して執刀医が江口洋介に似ているわけではないのだ。ましてや松嶋菜々子に似た女医もいるわけが無かった・・・。

18:18
娘の乗ったストレッチャーを手術室入り口まで見送る。

その直後、娘は手術担当医師団全員から自己紹介を受けていた。初めて知る手術室内の儀式である。手術室内にはBGMが流されていた。リクエストにも応じると言う。リクエストが無ければ、患者の年齢に合わせた選曲をするようだ。ちなみに今回は「ドリカム」がかかっていたと聞いた。

そして、全身麻酔開始・・・。娘は意識を失った。やっと痛みから解放された瞬間だった・・・。

18:30
手術開始。
私は待合室で妻と向かい合い世間話を始めた。もう私たちに何も出来る事はない。ただ待つだけだった。「娘よ頑張れ!」との思いはあったが、よく考えるとこの時点で頑張ってほしいのは「執刀医」の方である。

19:00
夫婦で向かい合って話す事ももうあまり無い。二人とも読みかけの本を取り出した。読書続行。

19:30
1時間経った。早ければ そろそろ手術が終わる時刻だ。

20:00
1時間半経った。だが、まだ連絡が無い。

20:30
2時間経過。先ほどの執刀医の話を思い出す。長引いたときは開腹手術の可能性がある。やっぱりか・・・。やや不安がよぎった。

21:00
2時間半経過。まだ手術終了の連絡が無い。最悪の結果になっているのか?ナースステーションに声をかけ、状況を聞いてみた。「そうですねえ・・・3時間はかかると思ってください!」なに?3時間?なぜだ?理解できないまま待ち続けた。

21:30
3時間が経過した。精神状態はかなり苦しい部分もあったが、私たちがどう心配しようと結果が変わる事は無いのだ・・・。ただ待つだけの時間は長過ぎる・・・。やがて執刀医が待合室に顔を出した。「終わりましたので、こちらへどうぞ!」寡黙な医師である。言葉少ない医師は不安をかき立てる。後ろをついて歩いた。ナースステーションまで来ると、執刀医はビニールパックに封入された赤黒い物体を見せてくれた。

「開腹手術はしなくて済みましたよ。これが切除した部分です。皮様嚢腫ですね。残念ですが右卵巣は切除しました。直径11cmに腫れた嚢腫が2回転の捻転を起こしていて、壊死していました。720度の捻転ですね。この捻転で子宮が引っ張られて激痛が起ったんですね。この状態になったのはここ2日〜3日の急激な事だと思います。他の部分はきれいでしたので、今後の妊娠、出産は問題ないですよ!」

なんとか最低限の手術内容で済んだ。私が考えていた最悪のパターンは免れたようだ。

捻転の状況を男性に置き換えて考えてみると、右睾丸を720度捻るようなものだろうか・・・。うっ・・・とてもじゃないがその痛みは気を失うほど強いはずだなあ!

22:00
手術室から娘がストレッチャーに乗せられて帰って来た。廊下で覗き込むと、酸素マスクをしたままの娘はうっすらとまぶたを開き、左手Vサインを送って来た!麻酔で朦朧としているようだが、元気なようだ。ひとまず安心である。しばし、治療のためのベッドに移され翌朝まで酸素マスクと点滴を付けたまま過ごす。両足にはマッサージ機が取り付けられていた。じっと寝ているだけなので、エコノミー症候群を防ぐためである。エアーで作動しているので「プシュ・・・プシュ・・・プシュ・・・」と小さな音が室内に響き続けていた。



22:30
娘に少しだけ声をかけてみたが、まだ麻酔の影響でボーッとしていた。そろそろ我々も引き上げるか・・・。

23:00
ようやく帰宅・・・。連絡していた方々にメールを書き、手術結果の報告をした。溜まっていたその他のメールにも返事を書いた。そのころ妻は食事をはじめた。私は精神的に疲れ切り、食欲が無くまったく食事は出来なかった。反面、妙に頭が冴えていた。しばらくギターを触ってみた・・・。疲れがじんわり感じられた。

24:00
私にもようやく眠気が押し寄せて来た。ベッドに潜り込む・・・。とても長い一日だった・・・。



本日の結論
順調に回復すれば、娘は16日退院となる。
その後はしばらく自宅療養をし、来月から職場復帰となりそうだ。
すでに、今日は支えられながらも自力で歩けるようになっていた。
この2日間で、たくましい妻と娘の精神力を観た気がする。

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