盲目的桃届話
2004年08月10日 たまにはこんな話も・・・!
 



「一般道路で眼を閉じて」

先週末8月7日夜、娘が大振りの白桃6個入りのパッケージを抱えて帰宅してきた。暑い日々が続き雨も少ないので今年の桃は糖度が高く、とても美味しい。翌日、冷たくした白桃を食べた。桃の爽やかさと甘さは、茹だるような暑さの日々には格別に旨いなあ!なんて、パクついていたのだが、実はこの「桃」にはある心暖まる話があったのだ!だがその結末は、はかなく切ない・・・。

それは2004年8月6日夜の事だった。娘は田園都市線「三軒茶屋駅」の近くに勤務している。帰宅時刻になり「三軒茶屋駅」に辿り着いたところ、娘は切符の自動販売機の前でたたずむ1人の青年を見つけた。その青年の前には数人が切符を買うために並んでいた。そして、青年の足下には盲人誘導用のイボイボがついたタイルがあった。その青年の右手には白いつえが握られていた。彼は盲目だった。

夕方のラッシュ時に人々は誰しも家路を急ぐ。青年をサポートしてくれる人物は誰も見受けられなかった。むしろ、家路に急ぐ人々はその青年にぶつかったり「のろのろしてんじゃねえよ!」と罵倒したりしていたようだ。切符売り場に並んだ青年を後ろから見ると、白い杖が見えないために盲人とは判別できにくいのだ。

眼が見える人々にとっては何でもないような黄色のイボイボ付きのタイルは、盲人にとっては切符を買うために重要な道標。そこに並ぶしか切符を買う術が無い。健常者はどの販売機でも買えるが、青年にはその位置の販売機しか使えないのだ。周りの人々に翻弄され、ただ呆然とたたずむ青年だったが・・・。

そこで娘は、青年をサポートしようと声をかけた。

「あの〜すみません、お手伝いをしましょうか?」
「えっ?ありがとうございます!助かります!」
「でも、眼が不自由な方をお手伝いするのは初めてなんです。どうすれば良いのか教えて下さい!」
「それでは切符を買っていただけますか?」
「どちらまで行かれますか? 」
「溝の口です」
「あら、私と一緒ですね!それじゃあ溝の口までお手伝いしますね!」
「そうですか!本当に助かります!」

このような会話がなされたようだ。

娘は青年から200円を受け取り、切符を買った。ここで娘は青年にまず「これがお釣です」と10円玉を渡した後に「これが切符です」と手のひらに乗せた。この順序が大事なようだ。次は改札口の通過である。そこまで青年のひじを軽く触りながら誘導した。さらに、娘は隣の改札を先に通過し、青年が改札を通過し出てくるのを待った。ところが、青年のすぐ後ろから来た人物が、改札の出口で青年を押し退けるようにぶつかって来たのだ。改札を通過しながら後ろから観る限り、青年はノロノロしている邪魔な存在にしか見えないようだ・・・。

ところで娘は気になることがあった。この青年は働いていて毎日電車で通っている様子がある。だが定期券を使っていない・・・何故だろう?聞いてみたところ、定期券は盲人にとって使いにくいのだそうだ。他のカードと混ざってしまうと、定期券には突起等の目印が無いので解らなくなってしまうからだ。そこで、毎日毎回切符を購入することにしているそうだ。電車の路線を3つ使うため、片道で2回の乗り換えが必要だと言う。切符を買うために費やす時間も多い。毎日とんでもない時間をかけて通っているのだという。

改札口を抜けると今度は地下まで階段を降りるか、エスカレーターに乗らなければならない。降りる行為は盲人にとってかなり危険である。ちょっとした不注意で落下する危険があるのだ。この青年は急いでいる健常者にぶつかられて、階段から落下したり転倒したりするのは週に2回〜3回あると話していたという。さらに問題は、転倒の際に「白い杖」が折れてしまう可能性があることだ。杖を失うと盲人は「触覚」を失ったことになり、1人では歩くことが出来なくなるのだ。青年は言う。

「そんな時の為に、背中の鞄の中に必ず予備の杖が入れてあるんです!」

「予備の杖」私が初めて知る事実であった。娘がサポートしていたので、今回はエレベーターで降りた。電車に乗り2人は約15分間いろんな話をしたという。青年は生まれつき眼が不自由だったのでは無かった。3年程前に突然見えなくなったようだ。毎日の通勤時間は健常者の2倍〜3倍もかかってしまうのだという。通勤時にやさしくサポートされると時間短縮になりとても有り難いようだ。特に若い女性から声をかけられてサポートされるのは、青年にとっても心豊かになれる瞬間だったのだろうな。

やがて電車が「溝の口駅」に着き、さらに青年は南武線に乗り換える必要があった。娘はどうせここまで手伝ったのだからと、青年が南武線の改札口を入るまでずっとサポートし続けたと言う。トータル時間にして約30分間の出来事だったようだ。娘は帰宅後、その一部始終を嬉しそうに私に話してくれた。

健常者は眼が見えないことに対してその不自由度がどの程度であるかを体感するのは難しい。試しに、一般道路で眼を閉じて10m歩くのも恐くて出来ない程だ。このようなサポートを行うことで、今まで知らなかった「盲人」の世界を知ることになった娘は、今後も白い杖をもった方を見かけたら、積極的にサポートをすると言っていた・・・。

翌日の8月7日土曜日夕方、娘は働いていた。お客様相手にカウンターで機種の説明を行っていたのだが、突然、他の社員からメモが渡された「担当指定のお客さまです」ふと見ると、そこに立っていたのは前日「溝の口駅」までサポートしたあの眼の不自由な青年であった!相手をしていたお客の対応を素早く済ませると、青年が案内されて娘のカウンター席に座った。そして、青年は娘に対し「これは昨日親切にしていただいた御礼です。召し上がって下さい!本当に助かりました!」と白桃の入った箱を差し出したのであった。青年にとって、娘が行ったサポートはよほど嬉しい行為だったようだ。そして、それは青年に芽生えた淡い恋心かも知れなかった・・・。

青年は、電車の中で娘と会話した際に名前と「三軒茶屋の●●●ショップで働いています」と言っていたのを記憶していたのだ。駅に一番近い「●●●ショップ」はここだ。青年は探して訪ねて来たのだが・・・盲目故に青年は娘の姿を一度も観たことは無い。青年の記憶の中にある暖かな風景の中にたたずむ娘は、どのような姿で映っているのだろうか・・・。

だが・・・娘は昨日「退職願い」を提出した。



本日の結論
あの青年がもう一度たずねてきても、二度と娘に会うことは出来ない・・・。

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